





願望自体には優劣もありませんし、難易や善悪もありません。
全ては中立であるわけです。
但し、それは"叶う"も"叶わない"もどちらも等しいという事です。
叶うを実現する事も"叶わない"を実現する事も同じです。
要は何を観ているのか、という事に尽きます。
今、認識しているものが全てであって、その通りの現実があります。
こんなの予想外だ!…というのもそう認識して、そうあるだけです。
他者が含まれてくると特に相手の動向で判断を下してしまいがちですが
それも只単にそう起きている、というだけの事なんです。
「~が起こった、どうしよう、もうおしまいだ!」
不安になると忘れてしまいがちですが、願いはこんなのじゃないですよねw
必要なのは"望む方向性を見る"という事だけです。
いつか巨大な絵のようなものが既にあり、その中の一部分に超高倍率で焦点を当てている…
と書いた気がしますが、まさにそういう状態なんです。
その"叶っていない"という偏執的な焦点を外してしまえば良いんです。
どんなに美しく感動的な絵画でも、
顔をくっつけるまで近付き過ぎると全くよく見えませんよねw
でも立ち位置を一歩後退させてみると…
不思議な事が。
全体がよく見える上に、絵がより綺麗に見えるようになりますね!
あまりにも特定の一点に集中し過ぎてよく見えなかっただけなんですね。
本当は最初から完璧な絵だったんですよ。
こっそり式







今日考えてたのはさー、
勝手に過去を書き換えてもいいんじゃないかって。
望む結果が今あるとしたら、過去は変わるよね。
その結果に必要ななにかが過去にもうあったことにしてもおんなじだよね。
円環は過去にも巡る。前方ばかりに出来事が待ち受けているとは限らない。
意図した時点で、もう宇宙はそういう組成に成ってると思うんだよね。
だから、エネルギー的には、もう「動いた」んだ。
コントロールしようがない。もう動いたんだから。
それが、間違いがちなのが「今から何らかの動きがあって叶う」みたいに思ってしまう。
んで、たとえばそれを叶えるのに「ありえない奇跡」があると考えてしまっていても
エネルギー的にはもう動いたことを理解していれば
「もうありえない奇跡は働いた」と考えられる。
覚えてないけど 動きました
知らないあいだに 動いてた
それで なぜかわからないけど、すべてうまくいきましたとw
いやあ書き換えたら、ほんとにそうだったっぽくなるんだよなあ 他人がw
脱脳業者 ◆9sMXZr4UzU







あなたは「今」という瞬間において立ち位置を選んでいる。
これを別の表現にすると「今」という瞬間において何かに対して
「リアリティを与えたり、失わせたりしている」ともいえる。
これが「現実は内面の投影だ」という事だ。
あなたがリアリティを与えたことがあなたにとっての現実だ。
リアリティを与えるという事は、
現実に対する自分の立ち位置を確定させるという事でもある。
立ち位置を確定させるので、それに伴った現象を経験するということだ。
例えそれが、不完全な知覚を通ったものだとしても。
U4式







「願望が叶わなくって悲しい」「辛い」「ムカツク」・・・
一見ネガティブなこの感情も、実はただの感情なんです。そこにいていい感情なんです。
なのに、これを加工しようとしたり、感じないふりをしたり、
上から押さえつけるから「苦しい」んです。
ネガティブな感情もいていいんです。
排斥する必要はないんです。
ただそこにある、庭の木を、草を、そこにいるカタツムリや鳥を
『邪魔だからどかそう』って思いますか?そこにいていいですよね。そんな感じです。
ネガティブもポジティブも全部ただの存在なんです。
ネガティブを排斥しないと、ポジティブになれないわけじゃないんです。
まとめると「叶わない!」「叶えたい!」そんな感情もそこにいていいのです。
乗っかってスイッチオンにしなければ。
SZ1式







泣きたきゃ泣く
怒ってる時は怒る
思いに蓋をしない
思いを裁かない
思いを恐れない
実際に味わってごらんよ。
「何を思ってもいい」し「どんな感情を感じてもいい」
どうにかしようって時には「思った後」だし「感じた後」なんだよ。
「それでオッケーだ」と言って受け入れてしまえば留まらないものなの。
今の怒りは今の怒り。
今の悲しみは今の悲しみ。
既に思ったことや感じたことを改めて拾い上げて
否定したり、恐れたりしなくていいの。
改めて拾い上げなければ留まりようがないでしょう。
「~してはいけない」と自分を見張るのと
「オッケー、それでいいよ」と否定せず受け入れてやるのと
あなたはどちらに心の軽さを感じるだろうか?
現象に影響するのが、その心の重さや軽さだとしたら
あなたは何を選択するだろうか?
携帯式







> 大好きな家族も私の空想なんだろうか
空想ではありませんが、
投影であることは間違いない。
この世界が全て私の投影だとしても、
朝が来れば太陽が昇り、素晴らしい朝焼けを見せてくれます。
小鳥はさえずり、さわやかな風がふくでしょう。
「おお、素晴らしいな」と私は思いますよ。
投影だから素晴らしくないとは思いません。
グランドキャニオンを目にしたら
「おお、これは投影かもしれんが、それにしても凄いなこの光景は!!」
と感動しますよ。
この世界が全てあなたの投影だったとしても、
この世界はあなたに対して何も態度を変えたりしない。
あなたが態度を変えれば別ですが。
この態度をどう変えるかということが、
現実をどういった形に変更していくかということの鍵になります。
もしこの世界が全てあなたの投影なら、またとない好都合。
あなたにとって不都合はない。
そんなふうに考えてみたら楽しいですよ。
108式







別に何でもかんでも「許せ」と言っとるわけじゃあないのだぜ。
ただ「許せない」と思わせるモノの正体は、百八の言う「エゴ」だと思うのだぜ。
そこにあるモノは、分解して見てみれば「俺の方が正しい」という
正邪による判断なわけだぜ。
でもこの正邪というエゴを保持し続ける以上、常にそこには自分が正しさを
力ずくでも訴えなければならない場面を引き寄せ続けると思うわけなのだぜ。
だが逆に言えば、それはそのエゴを手放すチャンスを
常に引き寄せ続けているのと同じコトなのだぜw
◆qDAZEwwFzA







きみが世界から愛を与えて欲しい、
つまり望む物を与えて欲しいと思う事は、きみがきみに愛されたいという事だ。
きみがきみに愛を与えたら世界もきみに愛を与える。
当たり前だろ。
うまくできてもうまく出来なくても構わないんだ。
うまく出来なくて苦しんでも良いし、叶える事に執着しても、
叶わないと嘆いて苦しんでも良い。
そんな完璧じゃないと自分を許せないきみを丸ごと愛せ、だ。
分離は勘違いだ。愛、完璧、一体以外は勘違いだ。思い出すだけでいい。
抵抗や不快感、恐怖がでてきたら、きみが感じる事を許せ。
感じてもいいと。それが自愛だろ。
きみが世界や人生、願望の対象物に言いたい事、文句があるとすれば、
それはきみがきみにいいたい事だ。
きみからきみへの不満だ。
isa式







捻くれ族は○○したら叶う、の取引・条件付け大好きっ子。
取引は、口先だけで「許可しますた!」って言ってるのと同じ。
ぜーんぜん許可出来てないんですよ。
だから「これが効果ある!」っていう先入観から入らん方がいい。
素直組と捻くれ組の差は、この先入観に対する期待度=認識の依存度(外or内)が絶対ある。
「ほほぅこれをやると何だか心地良いな」じゃなくて「これやらなきゃ!」
文面からしても現象化、つまり外部に対する必死度や重要度が違います。
で、脱捻くれした今の私は108氏と同じく「快になる思考を選べ」としか言えないですが、
まだ多くの人が「快になる」のを躊躇している段階にいる。
しかもその大部分の人は、それを自覚しているはず。
あれこれ捻くれメソだなんだと、ここで色々書き散らしたんですが、
108メソも捻くれメソも、全部ツールに過ぎない。
一番大事なのは、自分の身体や感情、体感する物に敏感になってみること、
だとつくづく思っています。
捻くれ式







手放しについて。
あなたのしっくりくる方法で手放せばいいですが、要点は
「願望に対して叶っても叶わなくてもよいというスタンスを取る」ことです。
もっと言えば、願望が叶うのかどうかに関係なく幸せでいると決めてしまい、
実際にそのようなスタンスを取ることです。
そのスタンスを取れれば願望の重要度はかなり低いものになっています。
叶わなくても思えない自分も手放しちゃいましょう。
手放せない自分も手放すんです。
「叶っても叶わなくてもいいというスタンスを取れても取れなくてもいい」
「手放せていないかもしれないけどそれでもいい」
といった具合です。
クレ式







家族とか恋人とか何だとか、全部思い込みだったのであります。
思い込みは分離を生みます、いわゆるレッテル貼りという奴です。
全部単なる思い込みなら、それらに気付けば世界は統合されます。
変な思い込みが無くなれば、世界の方から
その時その時に欲しているものが用意されます。
多くの人がナントカメソッドやら何やらを実践しても、
結局は「叶えるために」実践しています。
まあそれはしょうがないんですが、偽りの世界に対し叶えるだの何だのやっても、
叶ったり叶わなかったりで終わるでしょう。
どんな事をやろうが偽りと決別しない限り、それは
「偽りの世界に媚びているだけ」です。
肝心なのはそれらを通じて
「実は何もする必要は無かった、メソッドも概念もいらなかったんや!」と
いう事に気付けるか否かです。
「もう偽りの世界には媚びない」と決めるだけで結構です。
あなたが今まで本当の世界と思ってきたものは、全て思い込みで出来た偽りの産物でした。
偽りの産物の機嫌を取るために、色々なメソッドやら何やらを探して「媚びて」来ました。
「もう媚びない」と決めれば、その瞬間から偽りの世界とは決別です。
真実の世界、全てが満たされている世界があなた自身となります。
桑田式







風を起こそうと思ったら自分が風になればいい。
愛が欲しいと思ったら自分が愛になればいい。
もし存在が愛だとすると、自分が愛になるのはたやすいことかも知れないね♪
もし明日、道を歩いてて風が吹いて、
あなたの足元を心地よく吹きぬけたら、
その風にありがとうって感謝しよう。
もし明日、道を歩いてて誰かとすれ違ったら、
その人にありがとうって感謝しよう。
そのときあなたが愛なら、
それはたやすいことかもよ♪
そんな自分でいるとき、
あなたは愛以外の体験が出来るだろうか?
あなたが愛ならあなたを一瞥する猫さえあなたを愛するだろう。
画家式







本当は、あなたの世界のあらゆるところに「ある」があります。
外側の世界で「ある」を見つけたかったら、自分の内側に「ある」を実感すればいい。
「意図」とは、その内側に「ある」ものを感じようとすることじゃないかな。
外側に注目して欲しい物を探し続けるよりも、内側にあるものを実感するほうが
よっぽど簡単で鮮明に外側に現れてくるようになる。
自己観察式




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[2011/12/31 23:50] |
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