「自分=世界」 全ては一つのもの
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875 名前:もぎりの名無しさん 投稿日:2012/03/18(日) 08:35:12 ID:SpXepdBg0

>>871 この
>ない」とか「足りない」という感覚を要求する事になる

の注文からどーしても逃げられないのですが、正確にいうと、頭ではわかっているのに、
気がつきゃ、不足を注文!に戻ってしまうのですが、具体的にどーすれば???

>「愛されたい」が願望だとしても上と同様に「愛の欠乏下さい」という注文だ

を正確に注文するには??
基本幸せなのに、一番経験したいことが出来ないです。
お助けをををを。

877 名前:もぎりの名無しさん 投稿日:2012/03/18(日) 13:13:11 ID:b2DjHaS.0

>>871さん
ありがとうございます。うぅー・・・まさにこの

>感覚的には「ない」という感覚をオファーしている事になる。

です。
そうならないよう別のことに興味をむけたり趣味の映画みたりして
意識をそらしてたのに、ついついどこかで「不足」を強烈に感じてる。
でも自分でもほぼ自動的というか無意識に「不足」をみてしまってて、
あーーーどうすればーーーとなってしまいます。

もっとゆるく考えたいけど現実をみるとつい力が入ってしまいます・・・。
もういちどおっしゃるように「原点」に返ってみます。

878 名前:もぎりの名無しさん 投稿日:2012/03/18(日) 13:37:51 ID:2xC9MKCY0

>>871
じゃあ潜在意識に「お金の充足いっちょう!」とオファーするには
顕在意識で「お金要りません」としてれば良いのかな。。。


881 名前:871 投稿日:2012/03/18(日) 22:32:34 ID:c/U4/Npg0

>>875,877,878
まず直接的な方法としては、チケット板おなじみの「充足を見る」
勘違いされがちだが、充足を見るというのは今あるもので我慢しましょうという事ではなく
「ない」という虚偽の知覚ばかり使ってないで「ある」という知覚を積極的に
使っていきましょうね、という事だ。

上手くいかないという人は習慣的、リアクション的に「ない」を
使ってしまっているのだから、その習慣を直そうねって事だ。

そして重要なことは。

「ない」という感覚は思考によって捏造された虚偽の感覚ということだ。

つまり思考なしには「ない」という錯覚はつくられない。

例えばそこそこお金を持っていて「ある」という感覚を使っていた人でも、
自分よりさらに金持ちな人と対面した時に思考によって「ない」という感覚を使ったり。

幸せそうなカップルを見た時にその幸せそうな様子から「愛=ある」を感じる人もいれば、
自分にはそれが「ない=愛の欠乏」を感じる人もいる。

多くの日本人はせっかちだから、車の渋滞や列に並ぶという状況から「時間の損失=ない」
という知覚を使ってしまうかもしれないが、「Time is money? 何それおいしいの?」というような
スローライフの国に住む人々にとっては列に並んで待つという事に何のストレスも感じない。
なぜなら彼らはその状況に「ない」を見出さないから。

あるいは中毒というのもこの構造から来るものだ。俺もかつてはスモーカーだったが
それがタバコであれアルコールであれ、ケータイであれネットであれ特定の状態
(例えば喫煙)を常態化させる事で、それがとぎれる事に「ない」を見出してしまう。

だからといってそれをしている時(喫煙中)も特別満たされているわけではない。
満たされているわけではないが、それがとぎれると「ない」の知覚を使う事になり
ストレスを感じる事になるので、やめられないというわけだ。

まったく同じ状況に直面したとしても、そこで「ある」という本当の知覚を使うか
「ない」という虚偽の知覚を使うかはその人次第だ。

882 名前:871 投稿日:2012/03/18(日) 22:32:48 ID:c/U4/Npg0

ということは。
瞑想や思考をやめる、あるいは今、目の前の現実に
意識を注ぐという事が効果的だという事は間違いなく言えるわけだ。

「瞑想?悟りとかどーでもいいわ!それより願望をバンバン現象化させたいんだよ」

という人もこのスレにはたくさんいるだろうが、
思考によって虚偽の「ない」という知覚を捏造してるのだから、
思考をやめるという事は「ない」という錯覚を放棄するという事を意味する。
つまり願望実現という観点から考えても明らかに効果的なのだ。

虚偽の知覚を使う事をやめたなら、自ずと本当の知覚「ある」を使う事になる。


ということは?もしかして今まで願望が実現した場合にのみ
「ある」という知覚を使う、充足を経験する事にしてたわけだけど、
本当はこの「ある」という知覚を使う事自体が幸せということなのでは?
それが本当の幸せなのでは?


という事にもなるわけだけど、まぁそれは今は置いておこうw

「現象化しないと納得しねーよ」という人もたくさんいるだろう。安心していい。
「ある」という知覚を使う事をあなたのデフォルトの状態にしていけば、
当然あなたが経験したいと思う事を経験出来る。


本来の「ある」という知覚を使えば使うほど
現象化のスピードがアップしている事にも気づくはずだ。

そして現象化するからまた「ある」という知覚を使う。あとはおまかせモードに突入だ。
あなたが経験している事を極めて単純化していうならば、
「ある」か「ない」か、1か0か、だ。

経験している事とは?

あなたが「意識を向けている事」が、あなたが経験している事だ。


例えば、あなたが現実としてテレビを見ているとしても、あなたが数日後の支払いの事を
考えているならば、あなたが経験しているのは「支払いへの不安=欠乏、ない」だ。

「今」あなたが経験している事が次にあなたが経験する事を引き寄せる。


883 名前:871 投稿日:2012/03/18(日) 22:33:11 ID:c/U4/Npg0

「願望を叶えるためにがんばってメソッドするな」の意味も
この知覚という観点から考えても理解できるだろう。
願望を叶えるためにがんばってメソッドをするとは。。。

「いつか来るであろう現象化のために、「ある」の知覚を使うこと、充足を経験するのを延期しよう。
今は本当の知覚「ある」を使うのを延期して、メソッドをがんばろう。
メソッドは当然現象化のための修行のようなものだから、ストレスを感じる経験だよ。
知覚?使うのはもちろん「ない」という虚偽の知覚の方さ。」

と言ってるようなものだ。

逆にいえばどんなメソッドであれ、あるいはメソッドでなくても
「ある」という知覚を使うものであれば何でも効果的だという事だ。
自愛であれ、直結であれ、それ以外のチケットのメソッドであっても。

直結メソッドも「ある」という知覚を働かせるか、
現実を見て「あるあ・・ねーよw」ってなるかで経験してるものは全く逆だ。

ちょっとした焦点の違いがその先に大きな違いを生む。

「何でだめなんだろう」と「どうやったら上手くいくんだろう」は似て非なるものだ。
前者は問題点に焦点が当たっているのに対し、後者は解決策に焦点を当てようとしている。
解決に焦点を合わせようという事は解決策が「ある」という事だ。
あなたをよりよい方向に導く可能性があるのは当然後者のほうだ。

同様にどうやったらお金が手に入るかを考えるよりは、お金が入った時の使い道を考えた方がよい。
お金が欲しいと言っても、本当は札束をパタパタやって楽しむのではなくそれを使って
何を経験したいかだろう?

手段と目的がすり替わっているから、とりあえずお金をという事になるわけだが、
むしろ使い道に意識を向けるべき。その方が「ある」という知覚を働かせやすいのだ。

あなたも「あれ欲しいなあ~」とか「あそこに行ってみたいなぁ~」とか
「あんな家に住んでみたいなぁ~」とか思ってワクワクする事があるだろう。
その時のあなたは「ある」という本当の知覚を使っているのだ。

反対に、「あれが欲しいけど・・・(金無いから無理)」という場合は
「ない」の方の知覚を使っている事になる。

884 名前:871 投稿日:2012/03/18(日) 22:33:31 ID:c/U4/Npg0

また、お金の使い道に意識の焦点を向けるという事は、
お金が「ある」事を前提に持ってくる事になる。

あなたがもしお金持ちに「なった(直結)」としたら、あなたは何を考える?
当然使い道について思いを巡らすことだろう。「さて、何に使おうかね」となるはずだ。
「お金持ちになっても死ぬまで使わずに遺産として残す事でものすごく充足を感じます」
という特異な人ももしかしたらいるかもしれないがw

うろ覚えだがエイブラハムの本にも、ポケットに一万円をしのばせて町に出かけて
その一万円で買えるものを心の中で買いまくるというトレーニングがあったはずだ。
これも「ある」という知覚を使うトレーニングといえる。
買うという事はそれがあるということだからね。
まぁハッキリ覚えてないから詳しく知りたい人はエイブラハムの本を参照してくれ。

恋愛に関して言えば、「愛する人ほど愛される」という事になる。

「愛されたい」という事はそれだけ「愛が欠乏している」と感じているわけだ。
当然あなたはあまり他人に愛を感じないだろう。ごく一部の人しか愛する事は出来ないだろう。

「愛が欠乏していない」、「愛に満たされている」あなたは、嫌いな人より
好きな人の方が多いだろう。疑ってる人よりも信頼している人の方が多いだろう。

まずはそこからスタートしてみる。人を好きになれるあなたは「愛が欠乏していない」。
貴方に愛が「ある」からこそあなたは愛する事が出来る。
つまりあなたは愛に満たされている事が「前提」になる。

今憎たらしいほど嫌ってる人を好きになるのは難しいだろうから、まずは出来る範囲で。
道行く知らない人であっても「愛」をもって見つめてみる。別に抱きついてチューする必要はないw
ここらへんは108ブログのコラム「壁」も参考になる。

あるいはお世話になった人への愛や感謝を感じてみる。周りの人を心から信頼してみる。
徐々にあなたが「ある」という知覚を使い始めている事に気づくだろう。

今まで「愛されたい」「認められたい」という事に必死だったはずが、
人を「愛する」「信頼する」「感謝する」という事でもってなぜか充足を感じている事に気づく。

そうなれば、あなたが「愛される」「認められる」という経験をするのは当然の事になる。

人間関係も明らかに変化することになるだろう。

885 名前:871 投稿日:2012/03/18(日) 22:33:47 ID:c/U4/Npg0

という事で、知覚という観点から表現するならばこういう事になる。

引き寄せなんか知らなくても天然で上手くいっている人というのは、
自然に「ある」という知覚を使っている人という事も出来る。

「ある」という知覚を使う事は、あなたにとってそれ自体が心地いい。
だからどんなメソッドをやるにしろ、「今」、あなたが「ある」を経験しようとしているか
「ない」を経験しようとしているかが上手く適用出来てるかの指標となる。

あなたにとってそれが苦行と感じるなら、それは「ない」を経験しているという事だ。

まずはリラックスして。どうにでもなるよ、という楽観的観点からスタートする。
自我の根底にあるのが不安である以上、思考はどうしてもあなたの意識を不足へと
導こうとするだろうが、深刻さも心配も虚偽の知覚だから。

あんまりしつこいなら、「知ったことか」という態度できっぱりと拒否する。
エゴとは引力とも言えるから、最初はある程度引っ張られる事もあるだろうが
あなたが意識的に選択すれば、はねつけることが出来る。

879 名前:もぎりの名無しさん 投稿日:2012/03/18(日) 14:11:07 ID:2xC9MKCY0

871さんの文章引用させて下さい。書いてみます。

別の領域は顕在意識よりもシンプルだ。
例えば貴方の願望が「お金が要らない」と顕在意識上は表現されるとしよう。
しかし多くの場合その根底あるのは「お金の充足は嫌だ」の方だ。
感覚的には「ある」という感覚をリアルに感じるだろう。

それはエゴのでっち上げの感覚ではあるが、少なくともその人にはリアルに感じる感覚だ。
別の領域には嫌だも好きだも「通じない」。
という事は貴方のオファーは「お金の充足いっちょう!」という事になる。
感覚的には「ある」という感覚をオファーしている事になる。

当然何を受け取るかはわかるだろう?

>>879
斬新だなw
根底に「お金の充足は嫌だ」ってなるかどうかはわからんがw
でも人によっては案外いいかもしれない。「こんなお金の心配は投げ捨ててしまおう。」
っていうようなメンタリティならその文言でうまくいくかもしれないな

以上、長文連投失礼。。。。 (´・ω・`)ノシ

890 名前:もぎりの名無しさん 投稿日:2012/03/19(月) 02:02:09 ID:8s2n/U420

U4さんの話は解りやすく納得もできるんだけど、
DEBUGの「主よあなたにとっての最良をお与えください」って言う
神に全託する方法だと「ない」という立場からリクエストで

>>883
「いつか来るであろう現象化のために、「ある」の知覚を使うこと、充足を経験するのを延期しよう。
今は本当の知覚「ある」を使うのを延期して、メソッドをがんばろう。
メソッドは当然現象化のための修行のようなものだから、ストレスを感じる経験だよ。
知覚?使うのはもちろん「ない」という虚偽の知覚の方さ。」と言ってるようなものだ。

ってことになっちゃってU4さん的にはやめとけって感じですかね


891 名前:871 投稿日:2012/03/19(月) 07:53:35 ID:c/U4/Npg0

>>890
う~ん、、色んな話がごっちゃになってるな。
今回のは、「今」というタイミングにおいて、実際に使ってるのは
本当の知覚「ある」なのか偽りの知覚「ない」なのかという話だから。

「ない」という知覚を使っている時は、ストレスやネガティブな感情を感じる。

「ない」というのは概念上でしか存在しない。
お金がない、と一口に言っても1円も持ってないわけではないだろうし、
あるいはまだまだあるのに出費をしたという事で「ない」という知覚を使っている事もある。
場合によっては借金してても「ある」という知覚を使ってる事もある。

結局はあなたの中の条件付けに従って、無意識にリアクション的に
「ある特定の状況」に対して意識を向けた時、「ない」という知覚を使っているという事。


だから、「ないという立場から」とかいう事ではなく、まさにその時、どっちの知覚を使っているかに
注目してみるという話。で、それに気づけるならば、意識的に「ある」という本物の知覚を
使う事を選択していけるよねってわけだ。

で、「主よあなたにとっての最良をお与えください」ってのは、今回の知覚の話で言えば

「私は今までエゴのちっぽけな認識を信頼し、「ない」という知覚を使ってきましたが
私はこの認識を信頼するのをやめて、疑ってみます。偽物の「ない」という知覚ではなく
本物の「ある」という知覚を使いたいです。」
という表明なわけだ。

つまり「ない」という知覚を放棄する意志を持つという事。


無意識であるとはいえ本人が積極的に信頼する事によって「ない」という知覚を、
「敢えて」、使ってるわけだ。

敢えて自分でやってるのだから、止めようという意志を本人が持つならばそうなっていくという事。

よって知覚という観点から考えても「主の最良を求める」というのは、
やめとけって感じではなくむしろ推奨されるって事になる。

108以外 質疑応答【7】
 
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[2012/04/21 00:04] | Category * U4式

 

 
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