「自分=世界」 全ては一つのもの
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104 名前: もぎりの名無しさん 投稿日: 2011/07/26(火) 22:47:17 LwBJsr56O

自己観察さんへ
最近の私は、既にあるとか別の領域とかエゴとか考えてるうちに、
エゴを納得させるために考えちゃうけど、それってやっぱエゴの罠だなと思って、
あまり言葉を使わないで安心感を感じるようにしてます。

エゴは際限なくあれこれ言うから、むしろあんまり取り合わない方がいいし、
巻き込まれても気にしないでおくようにしています。
ドーンってなって、安心感に戻るのに時間かかってる時もあるけど、
軸足は安心感になってるかな~とか。

ただ難しいのは、やっぱ目の前の彼のリアクションはなんていうかリアルで。
特によく知ってるだけにーこれもエゴ(笑)
こういうのはこうだからかな?とか、こうしないとダメな人だからとか気づくとアレコレ…。
これもエゴですよね?今さらながら、彼を好き!に浸ること以外って意味ないなと感じてます。

一時は、なにもしないにすがってました。
むしろ、エゴからかもと思ってなにもしないようにしないとって。
あ~も~、これ叶うためにしないになってるな~とようやく気づいて。

今の私は、エゴからのおしゃべりが気にならない安心感のある楽しい時間を増やして、
あまり深く考えないで、のんびり過ごそうかなと思ってます。

彼とのことは既にあるしとあまり揺れないで楽にいたいなとか。
時々、早く体感したいよ!ってエゴが叫びますが(笑)

なんていうか、充足とか別の領域とかも感じようと無理しないで、
感じられたら幸せだからうれしいし、とくにフラットでも気にしないみたいな。
自分も彼も大好きって気持ちを大切にするのがいいなって。

すみません、とりとめなくて。つい、自己観察さんがいるとうれしくて。


127 名前: もぎりの名無しさん 投稿日: 2011/07/31(日) 14:41:50 ID:psg5Ebes0

>>104
安心感はいいですね!
LwBJsr56Oさんも大きく変容してる時期ですから、いろいろ揺れたり巻き込まれたり
するかと思いますが、「ある」に留まることが大切だと思います。
ちょっと長文かいてみたのでそれも参考になれば幸いです。

101 名前: もぎりの名無しさん 投稿日: 2011/07/26(火) 16:15:26 DdQQy3pQ0

意識が自分なのにどうして肉体が眠ると意識がなくなるんでしょうか?
私は意識と言うのを間違って捉えているのでしょうか?

105 名前: もぎりの名無しさん 投稿日: 2011/07/26(火) 22:53:55 8xMa9fPEO

>>101
間違って捉えてると言うか、「意識」ってものの意味合いが違うと言うか

あなたは「自分の意識」ってことを言ってるんだと思う
一般的な「意識がある」とか「意識が無い」とかって用法で用いられるもののことを

眠らない意識ってのは「自分の」なんてことは言えないものなの
いわば背景みたいなもんだよ
それが変わらず在るからあなたは眠っても再び目覚めることができる

人は背景には鈍感なんだよ
絵を鑑賞する時には描かれた絵にしか目がいかない
それが何に描かれているかには無頓着になる

106 名前: もぎりの名無しさん 投稿日: 2011/07/27(水) 00:34:49 8yGf/mzA0

>>105
レスありがとうございます。
その背景が本当の私で、自己観察している時って、背景になってるのかと
思っていたんですが間違ってるのでしょうか?自己観察さん。
不滅の意識が自分だと分かれば怖いもの無くなると思うんですよね。
意識について知りたい、そんなお年頃です…。

すみません、8xMa9fPEOさんとお話してる時に自己観察さんに質問してしまって。
ここら辺が私のコミュニケーション能力の現在の限界です(汗

それと実践談スレに自己観察さん宛てに書きましたので、良かったら目を通して頂けると幸いです。
自己観察さんにお願いしてばかりですみません。


128 名前: もぎりの名無しさん 投稿日: 2011/07/31(日) 14:49:38 ID:psg5Ebes0

>>106
長文です。
あまりうまくまとまらなかったので、重複してる部分もありますが、
それでもいいという方だけ読んでください。

今までのあなたの人生がどんなに酷いものだったとしても、
別の領域、本当の自分には苦しみや痛みは存在しません。
それをこの世界で実現していきましょう。

さて、意識について信用できないということですが、これは信用できるできないとか、
信用する必要があるとかそういうことではなく、単に焦点の問題だと思います。

その大いなる意識は、眠ってるときも、死んでからも消えることはありません。
(死んだことないですけどw)それは生死や時空、個人を超えて存在する根源なのです。
眠っているときになくなるのは、「ある」「ない」を認識してる個人の意識のほうです。

個人の意識というのは、「私は○○という人間だ」とか
「容姿はこんなんで、性格はこうで、こういう症状を抱えていて」と、
普段改めて考えることはないでしょうが、それらのことを認識してる意識のことです。

このエゴの世界で生きるということは、時間や肉体という制限に支配されているので、
「私」という制限された個人意識は肉体とともに眠ってしまいます。
そうなると、大いなる意識が存在することを認識することができませんよね。

で、今回あなたが感じた「背景らしき意識」というのは、もっと根源的な意識のことです。
絵画という美しい比喩を拝借して説明すると、あなたは今まで絵の対象物=自分でした。
そこに気に入らない絵が描かれていることを嘆き、どうにか書き換えようと頑張ってきたと思います。

でも一部を書き換えようとしても、ほかとのバランスが取れなかったり余計に酷くなったりして、
なかなかうまいこと書き換えることは難しかったと思います。
それはあなたが絵の対象物になりきっていて、全体の構図を見ることができない
位置にしかいなかったせいです。

そしてあなたはふと、後ろのほうに背景らしきものを見つけました。

対象物にとって背景とは何でしょう。
すべてを支えてくれる土台、それが「在る」からこそ絵として存在することができます。
そもそも背景となるものが存在しなければ、私だと思っていたものも世界も
すべて存在することはできません。この背景が、原初の「在る」です。


自分自身だと思っていた、絵の具で描かれた色彩を消し去ってしまえば、
そこは何も描かれていない、まっさらな状態になります。
これが空であり、無であり、ゼロポイントであり、そして「私は『在る』」です。

背景のみのキャンバス、「何も無い状態」が在る。それが自分であった、という気づきです。
「無」でありながら「すべてがある」という矛盾が同時に存在する根源です。


絶対的に「在る」上で、無である。
「在る」が在るからすべての可能性が存在できる。
絶対的な「無い」というのは存在できないのです。


根源からの視点で見ると、自分が存在することさえ気づいていなかった意識が、
突然、「あ、自分在るじゃん!」と気づけた原初の気づきです。

その意識が「自分が在るじゃん」と自覚したからこそ、そこから思いを発し、現象化するという
「現実をを創造する」という感覚が生じたのです。すべてはそこから起きています。

自分が無、ゼロだと悟ると、そこに何が描かれようが自由でいられます。

不安や苦しみが描かれていても、あなた自身はその描かれた絵ではなく背景そのものですから、
対象物から離れて「在る」意識(背景)であれば、そこは「すべてがある」場所ですから、
そこに調和して「在る」ことで、おのずと調和した現象が生じます。

描かれている対象物は毎瞬変わっていきます。楽しいときもあれば不愉快なときもある。
そのすべてを受け入れる場所に在るからこそ、その対象物を変えられる力があるのです。

129 名前: もぎりの名無しさん 投稿日: 2011/07/31(日) 14:50:09 ID:psg5Ebes0

その「私は在る」という存在感覚を深く感じ、実感を伴う理解として腑に落とし
これが本当の自分だという根本的な気づきがいわゆる「悟り」です。
(これも何段階も無限にあって、私自身その途中にすぎません)
まあ悟りに興味はないかもしれませんが、私が実現と捉えてるものはこういう感じになります。

あなたが今この瞬間に「在る」に留まるなら、時空を越えてその根源の「在る」にいることになります。
「在る」という自覚、存在感覚。その存在に気づいている、覚醒している状態。
自分に気づき続ける。それが「在る」ということです。


今までこの状態を「自己観察状態」と表現してたけど、
自己観察という表現はどうしてもDo動詞的なので。
「ただ在るだけ」でいながら「目覚めてる」状態(=Being)です。

この世界はエゴの世界ともいえるので、苦しみや不安が存在します。
エゴの世界が幻想だというのは、変わっていくもの、不確かなもの、という意味での幻想です。
起きている現象を「問題だ」としているのはエゴです。

なので、不安や苦しみをつかんでいるエゴから解放されて自由になれば、
問題は起きなくなってきます。

そのエゴを超えて、現象が起こる源である本来の自分(「在る」)に
焦点を当て続けることで確かな真実である喜びや愛、調和が実現されてきます。

開放されるには「在る」にあることです。
在るという気づきだけが時間を越えて実在するものだからです。

エゴが繰り返し起きるのは苦しいかもしれませんが、そこに気づき続けることで
「在る」がより確かなものになっていきます。

ところであなたも感じたように、それは別に劇的な感じてもなく、
誰にでもある、前から知ってる感覚です。
修行してるお坊さんとか、探してるから気づけないんじゃないかと思います。
そこに在ればよかったんだ、と気づくことだったんですよね。


私たちはあまりにも普通に存在しているので、その根源的な「在る」を捕らえることが難しいのです。
簡単なものほど難しい、というやつですね。
でも、だからこそこの存在の源泉である「在る」という気づきを深めることが、何物にも変えがたい、
これを経験したくてこの体験の世界が存在している、くらいの大きなものだとも言えると思います。

その「在る」にフォーカスすることで、今まで気づけなかった根源的な喜びを知ることができ、
根源の無限さ、愛、そういったものが本当の自分だった、と悟ることができます。

あなたが気づいた不動の意識は、まだそんなに「確かなもの」としてみることは
できないと思いますが、体感を重ねながら、実感として理解することが大切です。
「在る」ことでだんだんクリアになってくれば、今まで自分だと思ってきたもの、
苦しいと思っていたものはエゴの観念だったということがわかってきます。

そして「ある」に強力にフォーカスしてると、現象なんてものは結構あいまいというか、
不確かなものとして、「なるほど幻想とはこういうことか」と感じるようなことも起きやすくなります。
と聞くと期待するエゴもいると思いますが、それも「在る」にフォーカスすることで超えてください。

エゴの側から「それがあるなー」と感じるんではなくて、
その不動の意識そのもので在ってください。そこがすべての創造の源です。

時空を超えた根源、すべてを生み出す源泉で「在る」ことで、そこから起こる現象がうまくいきます。

今度からここで誰かに質問したくなったり愚痴を言いたくなったときに、そうする前に
「在る」に意識を向けてみてください。書き込むことがいけないわけではないですけど、
そうするより「在る」に意識を向けるほうが確実だと思いますよ。

あと行動についてですが、ただそこに在れば必要なことが起きてくるので、抵抗しなければいいだけです。

意図と実現はひとつです。
すべてはひとつ、すべてが自分という領域ですから。
ただ時間の中では、意図してから実現される、という流れがあるように見えるだけです。。
その流れに逆らわなければ、行動を含めてすべてが「自然に起きて」きます。





182 名前: もぎりの名無しさん 投稿日: 2011/08/03(水) 01:33:33 ID:psg5Ebes0

ちなみに、まったく反応のなかった>>128-129ですが、「別の領域に浸る」ということについて
違う表現で書いてみたものです。

文章的にはあまりうまくまとまってないんですけど、今までの私の全レスの中で、
いちばん根本的というか、これ書いたらあとはもういいや、っていうくらい書きました。
響かなかったみたいだけどwなんでだ?

あまりに反応がなかったのでちょっと主張してみましたがw
この「ある」の意識感覚に目を向ければ、後は何も問題なくなります。

108以外 質疑応答【5】
 
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[2012/06/01 00:01] | Category * 自己観察式

 

 
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