「自分=世界」 全ては一つのもの
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223 :もぎりの名無しさん:2011/01/12(水) 01:32:45 ID:938EshvE0

桑田さんのレスは面白いな~何回も読み返しちゃう
まだ腑に落ちてないけど、最後のエゴの抵抗なのか、あと一歩のところまで来てる感じがする

桑田さんの何がいいって、引き際がいいなw
あと語り方とか「この人は分かってる」って感じがする


226 :もぎりの名無しさん:2011/01/12(水) 02:50:34 ID:bRTkyvnQ0

>>223
私の書き方が悪かったのかもしれませんが、やっぱり文章で説明するのって難しいですね。
今までの質問の答えになってるかわかりませんけど、何で願望を達成しようと思うかというと、
不足を感じてるからなんですよね。

ここに「願望達成」の罠というか、ある種のパラドックスが発生すると感じているんですが、
例えば「ある願望を達成したい!」と思った瞬間にかつての私もそうでしたが、
多くの人が陥るパターンが存在します。

「願望を達成したい!」何故か?それはその目標なり願望なりを手に入れてないからですよね。

つまり「不足」を感じているんです。
「願望を達成したい」=「不足を感じたい」なんです、
だって不足を感じてなきゃ目標だの願望だのは出てこないからです。


ここからあるドラマチックなストーリーが展開されます。
「願望を達成したい!」そう思った彼は、引き寄せの法則やら成功哲学やら、
様々な願望達成の書籍を読み始めました。何で読むのか?そう、
「願望が叶っていない(という不足)」を常に感じているからです。

なかなか願望が叶いません、彼はさらに研究を続けます。ネットで情報も検索しました。
何故か?そう、「願望が叶っていない(という不足」を常に感じてるからです。
彼は常に「不足」を感じ続け「不足」を願い「不足」を呼び寄せています。

「不足」なんか願ってない、と彼は思うかもしれません。じゃあ何で成功本とか読むんですか?
「不足」してなきゃ読む必要が無いじゃないですか、「不足」が無いと困るんですよ、
「不足」を克服する自分は「不足」がいなけりゃ存在できないからです。

そして恐ろしい事に彼が「願望を(不足を)叶えたい!」と思った瞬間にこれら「不足」が
ピザ屋の出前の如く速攻でやってきた(実現した)という事です。

(続きます)

227 :もぎりの名無しさん:2011/01/12(水) 02:53:33 ID:bRTkyvnQ0

しかし、上記のストーリーは全て彼が創り出したお話です。
「不足」という概念を創ったのも彼ですし、その「不足」を克服するために頑張ってる俺、
というストーリーで主演をしているのも彼です。映写機は、ただ単に映像をスクリーンに
映し出しているだけです。

もうお判りと思いますが、彼の正体が「エゴ」なんです。
そして本当の自分が「映写機」なんです。


「映写機」は自分の姿は見れません、映写機が映し出しているスクリーンの映像を観ているだけです。
するとそこにエゴが「俺に主演させて!」と出しゃばってくるのです。
そして映写機自身もエゴの「迫真の演技」に騙されて、いつしか自分が映しているだけの映像の方が
「自分」なんだと勘違いしてしまうのです。

しかしながら、映写機には映像を選択する権利があります。
願望が(不足が)湧いてきたら、それを選択しないと思えば良いだけです。


パラドックス的な感じになりますが「何も無い」は「全てある」んですよ。

「何々が欲しい」 思った瞬間に「不足を感じるでござるの巻(主演・エゴ)」が始まります。
映像に見入ってると、いつしか映写機自身が映像に取り込まれてしまいます。
だったら自分は映写機なんだという意識に戻れば良いじゃないですか、
戻った瞬間に、「不足を感じるでござるの巻」は終わります。


終わったという事は不足が無くなったんですから既に叶ってるじゃないですか。
まさに今この瞬間に、全て叶ったんですよ。先ほどは「不足」を瞬間的に実現しましたが、
今度は「充足」を瞬間的に創ったんですよ。

もう「不足を感じるでござるの巻」は永遠に終わりです。

298 :もぎりの名無しさん:2011/01/18(火) 11:00:49 ID:Rl.3puDo0

他人は達人とおもうかどうかはわからんが、
自分でかつて「達人」とおもっていたひとの領域には着いた。

いろいろ認識がかわった。映写機の話もよくわかる。7章もわかった。
ふりかえればチケットは落ちていた。ああそういうことね。
いま現象はすごくフラットにそして完璧に調和している。

isaさんが最後に「現象化はなからずある、だがいわない」と残したことば。
こたえは、あなたのあげた108さんの「所有」という概念なんだとおもたよ。

isaさんは、たぶんそれを書くと現象化にかじりついている人たちを落胆させ、
引き寄せや完璧などないのだとまた絶望に追い込むのだと考えたから書かなかったのだと思う。

言葉は言葉であるがゆえに、あらゆるモノゴトを限定する。
そして、そこには各人各様のあらゆる認識があり
その認識だけが真実なのだ。

だからisaさんは書かなかったんだろう。予想だけどな。

あなたの考え方に照らし合わせれば、世界中にあらゆるものと望むものは全てある。
ただ「持っていない」「叶っていない」と認識していないだけ。
目に見えるものだけが真実だと強く強く思っているだけ。
かなえないとかなわないと思っているだけ。
ただ認識だけを変える。指一本動かさずにできる。

そこは幸せの絶頂であり、ただただ穏やかな世界だよ。

310 :もぎりの名無しさん:2011/01/18(火) 21:34:08 ID:VxvTR1Jw0

>>298
現象で叶ってないのを認識レベルにおいて「現象においても叶ってる」って認識に変えるのって
難しくないか? イライラする。出来ない。それやると蓋になるんじゃないの?
なんでそうやってうまくあなたは認識できるの? 

大体「目に見えるものだけが事実じゃなく目に見えないものでも叶ってる」って今のこの認識から
どうこの認識にシフトするのかが分からない。それも蓋とか無理に思い込むとかもせずにね。

つか、目に見えないのい叶ってるってどゆ事? 目に見えないなら、俺が見てる「見えてない」は何なの?
こいつはその時何を見てるの? でも無理に思い込むんじゃないとかマジ難しい。


328 :もぎりの名無しさん:2011/01/20(木) 00:09:45 ID:bRTkyvnQ0

>>310
ヒントになるかわかりませんが・・。
悟った人でも、引き寄せの天才でも何でも良いのですが、そういった人の著書を読んだり
話を聞くと「私は全てが完璧だと実感したのです、ウヒョー!」とか
「全ての物に愛情を感じたのです!」とか大体似たような事言ってるんですよね。

だったら「なにがあっても全てうまくいってる」と思えばいいのかとか、
「何にでも愛を注げば良いのね」と解釈するのが当然だと思います。

つまり単純に言うと「不足」を感じたら「完璧」と唱えろ 
あるいは「不足」が嫌なら「完璧」を感じましょう という様に
捉えてしまう事が多いと思われます。

しかし、これでは結局「不足」は存在しています。
エゴの最大の特徴は分離の感覚を生み出す事です。

「不足」と戦うために「完璧」を感じようとする、これは明らかな分離です。
つまりお釈迦様の掌で暴れる孫悟空の如くエゴから一歩も動いていないと言えます。

「不足を感じるので感じないように戦うでござるの巻」
(監督・脚本・主演・共演・ぜんぶエゴ、ついでに客もエゴ)が新たに始まるだけなのです。

そこでは「不足」が現れると「忍法・完璧の術!」とか「忍法・愛してるの術!」とか
「忍法・何だかわからんがワクワクするでござるの術!」とか、不足を感じるエゴと
不足を感じたくないエゴが終わりなき戦いを繰り広げているだけなのです。

もちろん、効果があったり無かったりを繰り返すでしょう。
そしてまた強力な術を求めて旅立つという壮大な大河ドラマが繰り返し行われています。

「色んな忍法が出てきて面白かったけど、もう飽きちゃったよ」となったら
どうすれば良いのでしょうか、それは前回投稿させてもらったように
「映写機」の「意識」に帰ろう、となるのですが、もう一度角度を変えて書かせて頂きます。

(続きます)

329 :もぎりの名無しさん:2011/01/20(木) 00:12:50 ID:bRTkyvnQ0

話が飛びますが、そもそも何で不足を感じるのかというと「生きたい」「生きるため」
という根本的な欲求、そして「死の恐怖」があるからだと思います。

「金が無くては死んでしまう」「メシを食わねば死んでしまう」
だからこそ「不足を何とかしなければならない、生きなくてはならない」と
考えるのだと思います。

まず「生きるでござるの巻」が始まり「生きるには金やメシがいるでござるの巻」になり
「生きるために足りなくなってきたでござるの巻」になり「不足を感じるでござるの巻」に
どんどん話が進んでいきます。

そしてある人は「とにかく足りない」と思い悩み、ある人は「不足を何とかしたいので、
色々と頑張ってみるか」となるでしょう、もしかしたら上手くいって不足を克服できるかも
しれません、でもまた新たな不足が必ず出てきます。

不足を克服したいという事は、克服すべき不足を欲しがっているのと同じなのです。

バットマンもスパイダーマンも、倒すべき悪役がいなければ単なる変態コスプレイヤー
なってしまうのです。結局は同じ所をグルグル回っているだけです。

しかし、この「生きるでござる」という概念すらも疑ってみたらどうでしょう。
そもそも何で「生まれた」とか「生きている」と認識しているのでしょうか。

次の質問の答えを考えて頂きたいと思います。
「自分の両親が生まれる前、自分は何処にいたのだろうか?」

「何処にもいなかった」 違います。
「何処にもいなかった」と認識できる「意識」が在るじゃないですか。
間違いなく自分は「意識」として存在していたんです。

「現実世界で生きている」という思い込みは、生まれたばかりの写真があったからとか、
呼吸しているからとか、適当な理屈をつけて「生きているでござる」という概念を
エゴが作っているだけなのです。

「生きるでござるの巻」が始まったと同時に、じゃあ誰が?となり、
「私(エゴ)が生きているでござる」となるのです。
「生きるでござるの巻」はエゴが主演しているストーリーだったのです、
それに気が付けば「生きるでござるの巻」は消えて無くなります。

「生きる」が消えるという事は「生まれてもいない」のです。
「生まれてもいない」という事は「死ぬ事もない」のです。
「生きて」ないのですから「生きるために何々が不足している」なんて概念は
偽りだったとわかるのです。

「生きるでござるの巻」というエゴの作った話の中で「願望を叶えたい」と思っていれば、
エゴの手の中にいるのですから、どんどん不足が現れ堂々巡りになります。

しかし「生きていなかった」と気付けばエゴによって作られた「自分」は消えていきます。
つまり「世界」に最初から「自分」なんて存在していなかったのです、「俺」とか「私」とかは
幻想だったと気付けば、最後に残るのは「意識」(本当の自分)だけです。


そしてその「意識」はハッキリと「世界」を認識しているはずです、
「意識」が無いと周りの「世界」は出てきませんから。

という事は世界は意識そのものだったんです。
というか自分(意識)が世界であり宇宙であり全部を創造していたんです。
「自分」も「他人」もいなかったんです。

このような認識の変化が起これば、もう今度こそ「不足を感じるでござるの巻」は感動の最終回です。
常に世界(自分)は完璧以外の何者でもない状態で在ったんです、それは「生きる」という
エゴによる捏造で隠されていただけで、本当はもう最初から既に在ったんです。

なんで既に在ったのでしょうか?
それは本当の自分が望んで創ったから在ったんです。
自分が望んで創り出したんだから、不足なんて存在しないのです。

創造者としての意識に気付けば、「これは不快(不足)だから改善しなくては!」とかは
思わなくなります。全部自分が創ったもの、これも自分、あれも自分、気がつけば全ては
叶っています。

というか認識が逆転するので叶えるという感覚が無くなります。


例えば何かが欲しいなと思えばもう「それ=自分」になってしまうので「何々を得る」という
感覚や考えが消失してしまうのです。認識が逆転していないと「どうやってその欲しいものを
自分の物にするでござるか?ニンともカンとも」とエゴが騒ぎ出し再び不足を感じ出すと思いますが、

エゴが騒ぎ出したのを感じ取れれば十分です。
そこでまたテクニックを求めて終わりなき旅に出ては行けません、
本当の自分に気付けば良いのです。

文章でその感覚を説明しろと言われれば、やはり「私は全て完璧だと認識したんです!」とか
「全てが愛に包まれていたんです!」とかになるでしょう。

108式成功体験談・その2
 
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[2011/07/01 10:56] | Category * 桑田式

 

 
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