「自分=世界」 全ては一つのもの
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932 :幸せな名無しさん:2016/01/15(金) 00:44:08 ID:0jYRQ5EM0

観察している本当の自分を意識しようとすると疲れる。疲れるってことは間違ってるんだろうな。
鏡無しで自分の目を見ようとしている感覚。
何かコツとかないですかね?


933 :幸せな名無しさん:2016/01/16(土) 23:57:50 ID:SlVt1gnw0

何で疲れるんだろうね。どこかに能動的なものが残ってるんじゃないの?

不快や不安を感じてる時って、思考が何かについて改善や対策を求めて騒いでる。
その時、その騒いでる思考に気づくことが自己観察。

で、思考に気づいたらどうするか。
まぁ何もしないんだけど、強いて言えば思考を観察するモノになる、というか。

思考を観察してるモノって何かというと、
何もしないし何も考えない存在。
沈黙のまま静止して、ただ見る、ただ聞く、ただ感じるだけの存在。
姿勢的には完全に受け身。何かをどうにかしようなんて気は皆無。
言うこともする事もないので、いつもただゆったりくつろいで世界を観察しているだけ。


自己観察って、要は思考を観察するモノとの一体化体験(別の領域ってヤツ)を
する時間を増やして、楽になりましょうって事でしょ。
楽になるためにやる行為で疲れるってのは、本末転倒だよね。

934 :幸せな名無しさん:2016/01/17(日) 23:22:19 ID:WKmCb6bw0

いや本当、本末転倒でやんなってきちゃうんだよ。
「見よう」とするから目の後ろが疲れるんだと思う。
~を見ている意識…~を見ている意識…~を見ているry
これやるとどんどん意識が頭の後ろに移動して行くんだよねw自己観察向いてなさそう。

ところで胴の中心あたりに嬉しそうにしているモノがいるんだけどコイツが別の領域なのかな?
観察してるって感じがハッキリしないから自信持てないんだよね。
自分の気もするし自分じゃない気もする。観察してる気もするし観察されてる気もする。


935 :幸せな名無しさん:2016/01/18(月) 01:18:01 ID:mapTpTiE0

体の中心にいるそれを感じていれば、それで良さそうだけど。
観察してるとか、見てるという事にあまり重きを置かない方がいいような。
感覚はみんな一人一人違うので、本家の自己観察さんはともかく、
俺には人の事はよくわからないけどさ。

自己観察さんはいろいろ書いてたけど、一番メインは
「別の領域にいることの大切さ」を伝えようとしてたと思う。
質問者にも、その人の感じてるのが別の領域なのか、そうでないのかを
アドバイスするのが本意だったような気がする。

そして、そこにいるためには「思考や感情から離れること」が必要で、
だから思考や感情に気づくこと、つまり自己観察を勧めてたわけで。
別に思考を見ること自体には意味はない。気づいて離れるために見る。
それ以上でもそれ以下でもない。

自己観察なんて「思考があることに気づく→思考から離れる」ただこれだけ。
意思の力で思考を見つめるとか、そんな力の入った事じゃない。

その「思考に気づいて、そこから離れる」と、そこにあるのが別の領域だ、と。
そしてそこには何のスペシャル感もなく、特別な気づきもない、と。

そこに行くのは超絶簡単。
故に、達成感を求めてやまないエゴがそれを、そのことを受け入れるのは超絶難しい、と。
特別な何かはないのだ、そしてその簡単で普通で当たり前の場所に、
本当に明確に気づく事が真の特別さだというような話を書いてたね。

938 :幸せな名無しさん:2016/01/25(月) 14:12:49 ID:gV76MEWE0

外部の世界がニュートラルだってことは割りと把握しやすいと思う。
ところが、自分の問題になったときは個人的な感情が絡んでくるからなかなかそうは行かないよね。

ところがだよ。
「私たちはもともと別の領域にいた」はずなんだよ。
「それがエゴと同一化して見えなくなっている」だけなんだ。

よく言われる主張だがこれの意味するところはどういうことか?
これはね、自分の内面もすべてニュートラル=完璧だっていうことなんだ。

普通、私たちは不満や疑問を「解消しようとする」。すなわちなくそうとしてる。
この裏側には、自覚しにくいが、「不満や疑問を感じたくない」
という拒否する気持ちが隠れている。

ここで思い出すんだ、「自分の内面もニュートラル」ということを。
不満や疑問はエゴ的には望ましくないものだが、
自己観察的に言えば観察する対象でしかない。
そして捻くれ者の観点から言えば自分で望んで作り出したものだ。

だから、
拒否すれば再配達(自分で作ってるんだから当たり前だよな)。
自分は完璧だということを思い出して、エゴ的に負の感情を観察すれば、
拒否しようとしてしまうならまず「拒否しようとしている自分」を観察すれば、
受け取ったことになり次第に消えていく、というわけなんだ。

なぜなら出所であるエゴは有限だからね。

ここでいきなり「消えないな~、だめだ~」となるのは、
消そうとしてる=消えないものは良くないものだ、消さなきゃ=受け取り拒否、というわけなんだ。


エゴを見ている自分になれたら、これは別の領域だろうか?とか確認しなくてもOKだよ。
別の領域とは「エゴとは別の領域」なんだから、エゴから離れたら別の領域なんだよ。
これは別の領域?と確認することは別の領域の認識を取り下げることになる。

そして、「エゴとは」「別の領域」という意味だから「別の」と書いてあるが、
世界=自分、ということを考えれば、エゴも世界に包摂されているはずでしょ?
すなわちエゴも別の領域に包摂されているはずなんだよ。

私たちはエゴと同一化しちゃって、不完全と思ってしまうが、
そう思うことすら実は別の領域に含まれていた=完璧だったんだ。

(「だったら何もしなくていいんじゃないの」という疑問に対する答えは、
「そうだけどエゴと同一化してたらしんどいでしょ」です。
捻くれ者やisaが言うには「認識の変更は必要」ということ。)

自己観察スレ2
 
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[2016/03/04 01:17] | Category * 自己観察スレ

 

 
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