「自分=世界」 全ては一つのもの
http://geminikanon.blog.fc2.com/
Sponsored Link
208 名前: もぎりの名無しさん 投稿日: 2010/04/02(金) 22:56:48 ZwSzL5Zs0

>>画家さん
よく画家さんなんかは嫌なことは幻想で、最初から無いと言うじゃないですか。
それって、自分を不快感に貶めているものは、それは自分が不足に焦点を当ててるから
感じるものであって、不足というのは充足の影みたいなもので実体が無いから
不足から発生するあらゆるものは幻想だよ~てな感じですよね?

自分はその考え方、概念としては理解できるんです。
ただ感覚的にはいまいち要領を得ない所があるんですよね。

あと108氏なんかが言う自分が絶対的に安全な領域にいるという、
あれは無条件でそうだってのも要領を得ません。
自分は、自分の周囲の状況はどうあろうと、自分で勝手に心地よくなることが出来る
ってのが解ってその感覚を掴め始めていますけど、それより以前はチンプンカンプンでした。

ここら辺をちょっと別の表現で説明してもらえるとありがたいんですけど。


216 名前: 画家 ◆utHkaCg902 投稿日: 2010/04/02(金) 23:20:37 ID:RPnMMGvg0

>>208
私も以前は頭で解っていた状態でした。
この頭で解る、というのと、知っている、とはどう違うのか。

この目前に見える不足。
ここから疑うといいです。
この「不足」とは何だろう?
当たり前に思っていた欠落、不完全、不充足。
これを見るとき私は不愉快に感じる。※
それを何かで補おうとする。
そしてまた何かが欠ける。

私はこの※で止まってみました。
何かで補おうとすること、これを疑ってみた。
そして不愉快に感じることを直視した。

不足は何故不快なのだろう?
この不足を疑ったのです。

感覚的に掴もうとする場合、知覚的なアプローチが必要になります。
不足を疑い、充足を見てみる。
するとだんだん不足が取るに足らないものだと感じられてきた。

これ、単なる刷り込み?とも取れるアプローチですが、
そもそもこれを確固とした認識にしたのは面白いことに不足の不快感だったのです。
この不快感こそが、私を充足へ導いた。
皮肉にも。

>自分が絶対的に安全な領域にいる

私個人的な感覚を書いてみます。
私は安全でない場所に居る。
こう認識します。

安全ではないから安全策を考え、安全を期すための行動を取る。
これは危険を予期した行為である。
ぐるっと世界を見渡せば、危険を予期したシステムばかりである。
そしてそれは危険を生む。

すると私が取れる価値のあるフォームとは何だろう?と考える。
私は安全な場所に居ない、という認識を取り下げてみる。
すると安全策を講じず、安全を期すための行為を止める。
これは危険を予期しないあり方である。
こうあると、私を危険に晒すような機会が訪れない。
否、訪れなくなった。

すると最初の動機、私は安全でない場所に居る、という認識を支えるある種の動機。
それは「怖れ」に他ならない。
「怖れ」が一切の混迷を生んでいたのだ。と解る。

この「怖れが一切の混迷を生み出していた」と言う認識が生まれると同時に怖れを手放すことになる。
手放そうとして怖れを手放すのではなく、この事実によって私は怖れを手放すわけです。
するとかすかに自分が絶対安全な領域に居るのではないか?という知覚が生まれてくる。


私も100%その安全領域を体現しているわけではありません。
ただそこへのアプローチとして、このようなプロセスを踏んだ(踏んでいる)わけです。

これは個人的な一体験ですので充足への、
または絶対安全への知覚変化は多種多様に存在するはずです。
またその認識も微妙に違うはず。

同じ見事な壺を色んな表現で称えているのと似ています。
それは壺なのですが、模様や釉薬、形、土、匂い、色んな角度から感じることが出来る。
こんなのでいいでしょうか?

214 名前: 55 ◆52uE3j0pa6 投稿日: 2010/04/02(金) 23:10:32 o9z6Jxt.0

>>208
参考になるといいのですが・・・。

不足は充足からの疑似体験である。
充足が実相。
不足は仮想、錯覚。

なぜ充足の方が実相だと言えるのか?

逆はありえない。
なぜ不足があるのか?それは充足がないからだ。
不足は充足ありきである。
不足は充足によって支えられているのだ。

<<不足あるところに充足あり>>

しかし充足は充足だけで完璧である。
充足は不足の支えを必要としない。

<<充足あるところに不足なし>>


218 名前: 画家 ◆utHkaCg902 投稿日: 2010/04/02(金) 23:36:05 ID:RPnMMGvg0

>>214
良レスキタ!
サンクス55!

209 名前: もぎりの名無しさん 投稿日: 2010/04/02(金) 23:03:35 7avdK1DQ0

ある不快になることがあって、
この原因らしい観念がみつかっても、
おかしい、気分がよくならない、なぜだ?
って時は他の観念がその不快を支えているんでしょうか?
そしてその観念を炙り出すにはどうしたらいいんでしょうか?

なんか観念を探し続けるだけになるみたいで、
本当の安心に包まれるのはいつだ?

ん~、ループから抜け出せないでいる気がする。


217 名前: 画家 ◆utHkaCg902 投稿日: 2010/04/02(金) 23:33:06 ID:RPnMMGvg0

>>209
うん、観念を変えても不快な感じがするときはそれを支える陰の観念がまだある、って言うね。
でね、提案なんだけど、これ、頭で考えると何が何だか解らなくなる場合があるんだ。
だからここは108式で行こう。

「なにかを信じているということなしに、感情はありません。
ですから、あることに対してこういうふうに感じるという場合に、
それはひとつの非常にエキサイティングなチャンスであって、
自分が何を信じているかを調べ、理解するいい機会を与えてくれます。


そういうときには、このような質問をしてみてください。
「このように感じるのは、どんな先入観念を持っているからだろうか」と、源をさぐります。
まず、感情があり、それがあなたの先入観念への手掛かりになります。」(1-P183)
バシャール

この「このように感じるのは、どんな先入観念を持っているからだろうか」を
問いかけっぱなしにするの。頭(思考)では答えないわけ。
問いかけぱなしで放置するのね。
するとふと見える。
見えなくても大丈夫、問いかけがその観念を弱めてくれるから。

226 名前: もぎりの名無しさん 投稿日: 2010/04/03(土) 00:05:15 7avdK1DQ0

>>217
早速レスありがとうございます。
画家さんにレスもらったのはじめてだ。

問いかけて放っておく、
でも何も見えてこない。
これで別にいいんですか。
これで終わり。

なんだかよくわからないけど、
これで良しだと思っておけばいいんですかね。


229 名前: 画家 ◆utHkaCg902 投稿日: 2010/04/03(土) 00:10:52 ID:RPnMMGvg0

>>226
そうです、問いかけっぱなしにします。
答えはすぐに出てこなくてもいいんです。
あとは<忘れる>。

何も見えてこなくてもおk、逆に、何も見えてこない、ということが
あなたは思考を使っていない、という証しになる。
それでいいです。

考えあぐねて答えが出る場合も勿論あります。
しかし思考には自ずと限界がある。
思考以外の領域を使おうと思ったら「問いかけ」がいいです。

良く解らない気持ちが来たら

「この気持ちは一体何だろう?」

と真摯に、真剣に、自分に一度問いかける。
あとは忘れる。

この方法を使うととても便利です。

235 名前: もぎりの名無しさん 投稿日: 2010/04/03(土) 00:28:28 vjhgHy0A0

ちょこっとずつかもしれないけど(1mmずつぐらい)
画家氏のお陰で浮上してきました。
キテマスキテマス(古いかなw)


237 名前: 画家 ◆utHkaCg902 投稿日: 2010/04/03(土) 00:40:08 ID:RPnMMGvg0

>>235
キテルネwww

1mmずつでもいいんだ☆
このプロセス(心地よいことを受け入れるプロセス)は
確実に進歩して不可逆性(後戻りしない性質)がある。

つまりそのまま楽しんでいると(たまに落ち込んだとしても)確実に前に進むよ。
それは元来持っている知覚への受け入れだから。
受け入れるものはひかり。

実は先月、自分には何もない、って朝方の書き込みでちょっと心配したことがあった。
そのとき心配を転換したけど一度は心配したんだわ。
スマンかった。

さあ、焦らず責めず、マターリ行こうぜ☆

252 名前: ALICE [okoge] 投稿日: 2010/04/03(土) 01:40:31 q.4JalBw0

本来の自分とか、受け入れるとか許すとか、素になる、そのまんまとか・・
頭では理解してたけど、わかってなかったんやなぁ、私・・ってことが
友達と話してて突然、ほんまに突然「わかった」。

なぁんや、これがそうなん?私、何特別なイベントかんがえてたん?
ほんまにそのまんまやん!ってかんじ。
いかに今まで自分が「前述したような別の自分」になろうとして、「そのまんまの自分」って
名札をつけてアピールしてたのが見えてむっちゃ笑えてもた。

それからこの板のみんなのコメントみてると、
スポンジのようにはいってくる。すげぇ・・。

で、仕事の面談も頻繁に入るようになってきてんけど、
「それが何か?」ってかんじになってる。

これが、「快」を感じるってこと?
ちなみに「不快」ではない・・ただただ安心感だけがある


254 名前: 画家 ◆utHkaCg902 投稿日: 2010/04/03(土) 01:46:41 ID:RPnMMGvg0

>>252
いろんなメソッドが示している一点、それは「快」に向かうこと、ですよw
単純な話です。

もし不快だったらそれを感じきってもいいし(感情を感じる)、リリースしてもいいし(セドナ)、
思考を整えてもいいし(エイブラハム)、「本来の充足、快」を前提にして見るのもいい(108式)。

「快であれば良い」
「心地よくあれば良い」
「それ以上に重要なことなどない」

「難しく考えない」
「答えはドシンプルw」

255 名前: 画家 ◆utHkaCg902 投稿日: 2010/04/03(土) 01:49:46 ID:RPnMMGvg0

>>252
「快」に向かう。
最初は意識的な努力を伴っても良い。
習慣化すればあとは自動的にそれに向かいます。

それが自然な流れだからです。

256 名前: ALICE [okoge] 投稿日: 2010/04/03(土) 01:49:55 q.4JalBw0

>>254 画家さん
わっ、レスしていただいて光栄です・・おぉきに!
「答えはドシンプル」→これ、まさにピンポなので、いただきやす(・ω・)ノ


261 名前: 画家 ◆utHkaCg902 投稿日: 2010/04/03(土) 02:10:10 ID:RPnMMGvg0

>>256ALICE
「答えは常にドシンプル」

だからいつも手始めは「いまはどんな気分?」から始まるのね。
この「気分」を感じることさえ出来れば、知識と体験と知覚と感覚が乖離しないの。

結構陥りやすい状況がこの乖離なわけ。
何かをどうかしよう、と知識を求め、体験を求め、知覚して、感じよう、とするんだけど、
何かをどうかしよう、の前で「ストップ!」
「いまはどんな気分?」を足ががりにするの。


常に常に常に気分を方向指示器に使うわけ。
これが「感情ナビ」の活用ね。

ぶっちゃけ、何でもいいから「良い気分になる」ことを第一目標にする。
すると当然良い気分は良い気分なわけだから(それが良い、と知っているから)自動的に快に流れてゆく。

エイブラハムの「オールを手放し流れに従おう」状態になる。

「いまはどんな気分?」

快であっても不快であってもいいの。
先ずド正直に、誤魔化さずにそれを「感じる」。するとね、
快でも不快でも「ここに重点を置き、その経験を大切にすると決意すれば」
それらと乖離していたときより思い切り自由な感じになる。

不快を感じててそれを誤魔化すともうどこに行って良いのやら解らなくなるぜw

変な話、最近快でも不快でも、その気分を感じただけで嬉しくてならんw
気持ちをハッキリさせよう。
全てはそこからだぜ♪

上海雑伎団スレ【第十八幕】
 
                 Sponsored Link


[2017/10/25 01:00] | Category * 画家式

 

 
Copyright © 2018 ザ・チケット板☆備忘録, all rights reserved.